四十路だけど ばかやろう

40歳のおっさんブログ。挑戦の記録。糖質制限MEC食、プログラミング、Unity、ゲーム、読書、エッセイ、ニュースに一言。

〇〇べき思想をやめると、少し楽になった気がする。脚下照顧(きゃっかしょうこ)の考え方。

皆さん、ごきげんよう。オヤジボーンです。

 

仕事を辞めるか辞めないかを真剣に悩む今日この頃です。

 

そんな私の気持ちを知ってか、天気もどんよりしています。

辞めるか辞めないかをこんなに悩んでいるのは、禅を実践中の私としては、心苦しい状態です。

 

仕事を辞めるか辞めないかを、サイコロでも振って決めてしまえ!

 

というわけにもいかず・・・

 

考え方を変換してみようと自分自身を見つめ直しています。

 

見つめ直した結果、考え方が変わったことについて、自分のメモとしても書き残しておこうと思い、記事にしていますので、興味があるという稀有な方は読んで見てください。

そして、コメントなどしてくれると嬉しいです。

 

タイトルにもあるとおりなのですが、

「〇〇するべき」「〇〇は、こうあるべき」

という考え方が、自分の中に常にあるようです。

 

これは、プライベートの時はそれほど顕著に現れません。仕事中にものすごく顔を出します。

 

上司はこうあるべき、新人社員はこうあるべき、そんな偏った考えが、自分に根強くあります。

その”べき”という考え方に反している人間は、許せないという困った性格。

 

この困った性格は、自分を見つめ直すまで、自覚症状がありませんでした。

 

プロとして当たり前という考えで、自分にも他の人にも自分のべきという考えを押し付けていたのです。

 

妻に仕事の愚痴を聞いてもらった時に、よく言われました。

「真面目すぎる」

「もう少し適当でも」

 

主婦の妻にはわからない世界なんだから。

そんな気持ちで、嫁の考え方を気にもとめませんでした。

 

そんな妻は、仕事を辞めることには反対しています。

が、仕事を辞めるか辞めないかは、私の問題なので、見守ってくれています。

 

妻には感謝しなければいけませんね。

 

そんな嫁の言葉を最近思い出し、妻の言葉も確かに一理あると考え直しています。

 

相手の考えは私には変えることはできません。

真面目に考えてもどうにもなりませんし、給料分は働けよという考えも、あくまでも私の物差しであって、他人には押し付けるものでもありません。

 

こうあるべき、べき、べき・・・・

 

なんでこんなに”べき”という言葉を使ってしまうようになったのでしょうか?

 

普段の私はここまで完璧な真面目を貫く性格ではないのですが、いざ、仕事になると、プロ意識のスイッチが入ってしまい、能力のないものや効率の悪いものを、こうある”べき”と考えてしまいます。

 

それを一度やめてみようと考えました。

 

上司はこうあるべきという考えがあっても、上司がそうなるとは限りません。

 

書いていて恥ずかしくなってきました。私はなんて傲慢な考えを持っていたのでしょうか?

 

イライラして、上司からは使い辛い部下だったでしょう。

後輩からは、ちょっと近寄りがたい先輩だったことでしょう。

 

急に180度の転換はできないかもしれませんが、べきという言葉を排除したいと思います。

 

べきという言葉が浮かんだら、その反対語を浮かべたいです。

 

で、その反対語って何だ?

 

べきの反対は・・・

 

よくわからん。

 

べきって何だ!

 

べき、嫌いだ!

 

べき、消え去ってくれ!

 

脚下照顧、照顧脚下、看脚下

他人の批判はできても、自分の批判はなかなかできません。他人のことを論ずるより、まず自分を見つめなくてはいけません。理想を高く持つならば、より足下をおろそかにしてはいけません。

 

 

人の行動に、べき、べきと思うよりも、自分を見つめてより良く生きた方がよっぽどいいですよね。

 

自分自身にも、べきをつけないように、心おだやかに過ごしたいと思う今日この頃です。